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Assisi

緑の多いMonte Subasio(1290m)の斜面に位置する海抜424mのアッシジ(Assisi)の街はMonte Subasioで採石される石の薄いピンク色で覆われ、街の左端には12世紀にこのアッシジで生まれ、その後サンフランチェスコ修道会を設立したイタリアの国の守護聖人の一人サンフランチェスコ(San Francesco)の遺骸が安置されている大きな教会サンフランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco)が、街の右端にはサンフランチェスコの教えに感銘し、サンフランチェスコ修道会の教えに基づくサンタキアーラ女子修道会を設立したサンタキアーラ(Santa Chiara)の遺骸が安置されているサンタキアーラ教会Basilica di Santa Chiaraがあります。

古代イタリアの先住民族の1つであるといわれるumbri人が住んでいたと考えられているこの街アッシジ(Assisi)、古代名Assisumはその後隣の街Perugiaに住んでいたエトルリア人etruschiとともにRoma帝国の1つの自治都市(comune)となり商業的、芸術的を含む全ての面において大きく発展していたそうです。この時期に現在でもPiazza del Comuneでその美しい姿を見ることができるTempio di Minervaなどが作られ、エトルリア時代、ローマ時代の多くの遺跡は現在古代博物館となっているSan Nicolo教会跡地の地下納骨堂で見ることができます。なお紀元前1世紀に建てられたとされるTempio di Minervaの内部はバロック様式の教会として16-17世紀に改築されたそうです。
しかしRoma帝国の衰退後は不安定な状態となり、近隣の街Spoletoに吸収された後経済的にも社会的にも発展し、11世紀には都市国家(comune)となりましたが、アッシジが神聖ローマ帝国皇帝側の勢力(ghibellini)に属していたためにRoma法王側の勢力(guelfi)と対立し、この時代の他のイタリアの街と同様に近隣の都市との戦争が絶えなかったそうです。

12世紀末期のこの混乱の時期にアッシジの裕福な商人の息子に生まれたGiovanni Francesco di Bernardoneはこの街の多くの若者と同様に成長すると兵士として近隣の街との戦争に参加し、13世紀始めにアッシジが隣の街Perugiaと戦った戦争では捕らえられて1年間Perugiaの牢獄で捕虜として過ごしていたといわれています。その後十字軍の派兵に参加しようとしたFrancescoは近隣の街Spoletoで病に倒れ、横たわったまま何もできない状態で長い時間を過ごしながら体の回復を待っていたそうですが、その時に初めの神からの掲示である夢を見て、その指示通りに故郷であるアッシジに戻り、1205年にアッシジ郊外の廃虚となっていたSan Damiano教会の十字架の前で最初の神からの掲示であるとされる"Cantico delle Creature"の声を聞きすぐに彼の全財産および父親の資産を売って一所懸命このSan Damiano教会を自ら石を積みながら修復したそうです。Francescoはこの修復の仕事を通して教会の本来あるべき姿に気づき、当時の利権と権力の中で腐敗しかけていたキリスト教を救うという新たな宗教運動を起こすきっかけになったといわれているそうです。父親から与えられていた衣服を脱ぎ、何も持たずに神を愛することのみによって生きるFrancescoの姿は当時の乱れたキリスト教の高位聖職者を見飽きた庶民の心の底を動かし、多くの若者がFrancescoを見習って紐を結ぶだけの粗末な衣服をまとい"清貧"を基本概念として彼とともに宗教活動を行うようになったそうです。彼らはFrancescoの3つの教えの基本から衣服を結ぶ紐に3つの結び目を作り、この様式は現在でもFrancescoの教えを守るサンフランチェスコ修道会のしきたりとして残っているそうです。
しかしこの時代に新たなキリスト教の会派を設立するにはRoma法王の許可が必要であったため、記録によると1210年にFrancescoは同胞の若者らとともに当時の法王Innocentius IIIを訪ねにRomaに向かい、Innocentius法王から口頭でFrancesco修道会を設立することへの許可を受けたそうです。Roma法王からFrancesco修道会設立の許可を得たFrancescoは故郷アッシジに戻り、現在までも残るFrancesco修道会の会則を作ったFrancescoは布教活動のためにイタリア、スペイン、エジプト、イスラエルなどを訪ね、その結果として1223年に当時のRoma法王Onorio IIIを訪ねたFrancescoらはFrancesco修道会の会則に対して正式なRoma法王からの許可印および全ての罪への償いを免除できる権利をRoma法王から与えられたそうです。何も持たずに大地の上に眠り、パンと野菜だけを栄養源としながら布教活動を続けていたFrancescoは現在までも伝えられている数多くの奇跡を起こし、多くの街で神を愛することと平和という大きなメッセージを残し続けたFrancescoの体には1224年に、キリストが磔になったときに体に受けたと同じとされる深い信仰のしるしでもある傷跡が現れたそうです。その後体調を崩して病気にかかったFrancescoは自らの歳期の地として故郷アッシジのあるMonte Subasioの麓の街Porziuncolaを選び、1226年の10月3日にここの礼拝堂(Capella della Porziuncola)で45歳の生涯を終えたそうです。このサンフランチェスコの死を見つめたCapella della Porziuncolaにはその後大きな教会Basilica di Santa Maria degli Angeliが建てられ、この教会の祭壇にはサンフランチェスコが自らの僧衣に巻いていた紐が残されています。
Francescoの死後わずか2年後の1228年にFrancescoの弟子Frate Eliaらは当時のRoma法王Gregorio IXからFrancescoを聖人に祀りあげる許可と、このサンフランチェスコの遺体を安置するのにふさわしい大聖堂を建築する許可を得てすぐに、信者らからの多額の援助金や労働力などを元にして彼の故郷アッシジの片隅にサンフランチェスコ大聖堂の建築を開始し、その2年後の1230年にはサンフランチェスコの遺骸を仮に安置していたSan Giorgio教会から概形が完成したとされるゴシック様式のサンフランチェスコ大聖堂の内部へサンフランチェスコの遺骸を移すことが可能であったといわれているそうです。サンフランチェスコ大聖堂の特色でもある上階部分の建設も下部があらかた完成した1230年から開始されたそうです。その後当時の有名な芸術家らによって内部の美しいフレスコ画が描かれ、またそのためにさまざまな改装がおこなわれたために、全ての作業が終了したのは15世紀とも16世紀ともいわれているそうです。

後のサンフランチェスコよりも2年遅い1194年に生まれたのがサンフランチェスコとほぼ同じ時代にこの地アッシジに生き、活動したのが裕福な名門貴族の娘として生まれたSanta Chiaraです。両親から厳粛なキリスト教の教育を受けたChiaraは、同年代の青年Francescoの神を愛する美しい生き方に大きく感銘し、親に勧められていた婚約者との結婚を拒否してMonte Subasioの麓の街PorziuncolaのSan Damiano教会に出家し、Francesco同様に神のために尽くす生活を始めたそうです。このChiaraの姿がChiaraの妹AgneseやChiaraの母親を含めた多くの女性を魅了しChiara同様にただ神のみを愛するひとびとが集まったためにChiaraはFrancesco修道会と同様の会約を持つ女性のためのFrancesco修道会の中のChiara会を創設し、その布教に全生涯を尽くしたそうです。
1253年のChiaraの死後サンフランチェスコの熱心な弟子であったChiaraのためにアッシジの街のサンフランチェスコ大聖堂を見つめるような位置に、サンフランチェスコ大聖堂の上階部分に影響を受けたような作りでありながらも教会左側の女性的なアーチが美しいSanta Chiara教会が以前サンフランチェスコ大聖堂が完成する前にサンフランチェスコの遺骸を仮に安置していた小さなSan Giorgio教会を囲むようなかたちで建築されたそうです。この内部にはサンフランチェスコ大聖堂のようなフレスコ画はなくシンプルな作りですが、このSanta Chiara教会内には出家後最初にSanta Chiaraが暮らしていたSan Damiano教会にあった、サンフランチェスコが1205年に最初に神からの掲示を受けたとされている十字架が保存されています。

Assisiの略地図


サンフランチェスコ大聖堂Basilica di San Francesco
サンタキアーラ教会(Basilica di Santa Chiara)
大聖堂(Catedrale San Rufino , Duomo)
サンピエトロ教会Chiesa di San Pietro
Chiesa Nuova
Piazza del Comune, Tempio di Minerva
城塞Rocca Maggiore
サンタマリアデッリアンジェリ教会(Basilica di Santa Maria degli Angeli)

写真によるAssisiの道案内
1, Basilica di San Francesco1
2, Basilica di San Francesco2
3, Piazza del Comune, Tempio di Minerva
4, Cattedrale San Rufino, Rocca Maggiore
5, Basilica di Santa Chiara, Basilica di Santa Maria degli Angeli


観光案内所はPiazza del Comuneにあります。
Ufficio turistico; Piazza del Comune 12, tel; (075)812534 (//www.umbria2000.it)

Porta NuovaまたはPorta Moianoの郊外(およそ1.5km)にサンフランチェスコが1205年に最初の神からの声を聞き、全力を賭けて自ら石を積みながら建て直した、以前は廃虚であった質素な教会Convento di San Damianoがあります。またこのConvento di San Damianoは後のSanta Chiaraが最初の出家生活を行ったところとしても知られており、彼女が創設した小さな修道院の建物および彼女が息を引き取った礼拝堂が残っています。またこの近くでは古代Roma時代の遺跡も見ることができます。
またこのさらに先(およそ4.5km)には以前サンフランチェスコ修道会のいろいろな会則を定めるときに利用された建物を保存するために作られた聖地Santuario di Rivotortoがあり、ここでもサンフランチェスコらの質素ながら美しい生活をかいま見ることができます。
Monte Subasioの山の中、Porta Cappucciniの郊外(およそ4km)に以前サンフランチェスコらが洞窟に寝泊まりしながら宗教的活動を行った質素な静寂の中の庵Eremo delle Carceriがあります。ここには15世紀にSan Bernardinoにより小さな僧院が作られました。自然の中で神と対話したサンフランチェスコのすがたが偲ばれる非常に興味深い場所です。

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