Sienaで夏に行なわれるお祭りPalioは通常7月2日(in onore della Madonna Santissima di Provenzano, "Palio di Provenzano")と8月16日(in onore di Maria Vergine Assunta, "Palio dedicato a Maria SS. Assunta in Ciero")に行なわれ、下記17の地区によるContradaのうち10のContradaにより裸馬によるレースが行なわれます。
Palioの紹介 |
2003年のPalioの結果 2004年のPalioの結果 |
現在Siena
のCentroは17の地区によるContradaで区切られており、それぞれのContradaに名称、旗、教会などがあります(この17のContradaにSienaを区切った文書は1729年のものが確認されているそうです)。毎年夏に行なわれるSienaの代表的なお祭り"Palio"はこのContradaごとに争われます。なおPalazzo Pubblico, Piazza del Campo, DuomoなどはどのContradaにも属していません。隣接するContradaは歴史的に対立していることが多く、IstriceとLupa、CivettaとLeocorno、PanteraとAquila、TartucaとChiocciolaの不仲がよく知られています。しかし何故か(それとも当然か)、Sienaを説明する時に必ず出てくるのが、隣接しているわけではないが骨の髄まで染み渡っているOcaとTorreの激しい対立関係です。
おみやげ屋さんで売っている絵葉書の中にもPalioの本番のもので、OcaとTorreの旗手が相手に対して鞭の叩き合いをしているものを販売しています。この写真は1997年7月のPalioのものと見られ、この時のPalioでTorreは前評判の高い馬Musettoを抽選でとり、その当時の優勝請負人であった騎手Andrea De Gortes (Aceto)を擁して1961年以来ほぼ40年振りの勝利を目指していました。AcetoはOcaで以前に5回Palioに勝った(1968年8月16日、1969年9月21日、1977年8月16日、1984年7月2日、1985年7月2日)関係もありそれまではOcaと深い信頼関係にあったためか、Torreの馬に乗ることはそれが初めてのことでした。若い未知数の馬Quarneroを引き当てたOcaは当時無名の若手騎手であったLuigi Bruschelli (Trecciolino)にすべてを託し、TrecciolinoはTorreの勝利を阻止するためにAcetoと戦い、最終的に前の方の勝利を手にするために争っていた馬同士が衝突を起こしたため、初のPalioでの勝利を手にしました。その後Trecciolinoは1998年、1999年とOcaに勝利を贈り、その後も他のContradaで毎年勝ち続けて現在では最も勝利に近い騎手と考えられています。そしてそれまで優勝請負人であったAcetoは、このとき以来現在までPalioの騎手としては騎乗していません。
多くのSienaの市民(senese)の心に忘れられないPalioを演じたAcetoですが、最も有名なのが1961年8月にOcaの騎手として戦った時の話です。その時Ocaは9番目、ライバルのTorreはスタートを決定するrincorsoの位置にありました。全ての力を用いてTorreの勝利を阻止しようとしたAcetoですが、最終的に敗れ、Piazzaでは喜ぶTorreの人々の声がこだまし、Torreはその後6か月にわたって祝賀の宴を行ったといわれています。そしてTorreはその時以来勝利から遥か遠くに離されて来ました。
Torreは現在まで最も勝利から遠ざかっている運のないContradaです。SienaではPalioに勝ったContradaに属する人々は新たに生まれ変わるとの言い伝えがあるため、逆にもう40年以上勝っていないTorreの人々は、よく絵本などでお婆さんがかぶっている縁のない帽子"cuffia"を被っていると陰で言われています。"cuffia"とはSienaで最も勝利から遠ざかっているContradaに与えられる不名誉な称号で、1980年に"cuffia"をLeocornoから手渡されて以来16年もの間その座にあり続けて来たBrucoが、41年振りに勝利の栄冠を手にしたときから残念ながらTorreの持ち物となっています。43年前といえば、一生懸命旗を振っている若者の多くはまだ一度も勝利を視たことがないということなので、Palioの本番の時にはその決定的瞬間を見逃すまいというTorreの人々がスカーフなどをまとってPiazzaに集まります。
"cuffia"を手放してからLeocornoにもBrucoにも勝ち運が戻って来たようですが、残念ながらこの"cuffia"の呪縛からTorreが抜け出すのはそう簡単ではなさそうです。Torreが"cuffia"を手渡すだろう相手は現在まで25年間勝っていないCivettaですが、そう簡単にそれを受け取らないように頑張っているようです。Sienaで最も勢力の大きいContradaであるIstriceも2000年に、Trecciolinoの力を借りて25年間の暗い生活に終止符を打ちましたし、その後は運が向いて来たらしく2002年7月にも勝利を手にしています(が、2002年の8月に不祥事を起こしてしまったため現在はPalioへの出場停止処分の中にあります)。いつか勝利の女神が微笑む時もあるはずなのですが。
Palioの時に現場のリーダーとなるCapitanoの位置は別に女性でもあることが出来、現在TorreのCapitanoはSienaのContradaで唯一女性のMaria Aurora Misciattelliが勤めています。1961年8月16日、Torreのひとが忘れもしないこの最後のPalioでの勝利のとき、Capitanoの職にあったのは彼女の実の母親Maria Pace Chigi Zondadari Misciattelliでありました。その頃10代であった彼女が、1999年にTorreの勝利を夢見ながら亡くなった母親の墓前に勝利の報告に行くことが出来るのは、いつのことになるのでしょうか。神様のみが知る残念なお話です。
20世紀に20回Palioに勝利したOcaと、5回しか勝つことが出来なかった不運なTorreですが、19世紀にはこの2つのContradaはともに20回づつPalioに勝利したとの記録が残っています。始まったばかりの21世紀において、まだこの2つの大きなContradaのどちらも勝利を手にしていません。どちらが最初に21世紀最初の勝利を手にするのでしょうか。そして、今世紀はどのContradaに最も多く幸せが訪れるのでしょうか。Sienaの人びとは中世から今までずっとこのPalioに熱中しています。
この話は2004年に執筆させていただきました。