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la vita di Contradaioli di Siena
| Contradaの守護聖人の日のパレード(Contrada Capitana dell'Onda) |
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上記写真は2秒ごとにで切り替えています。画像が変らない 場合は、こちらをクリックしてください。 |
Sienaで暮らす人をイタリア語ではSeneseと呼びますが、何代も前からの祖先がSienaで暮らしているSeneseには当然のごとく所属するContradaがあり、他のひとにどこの出身かと聞かれたときには"Sono dell'Onda"などと都市名ではなく自分のContradaを答えるひとも多いようにみうけます(Sienaの地方テレビで、Sienaに本部がある銀行Monte Paschi di Sienaの頭取が出演していたとき、自己紹介の一環として"私の父はBrucoで、母はLeocornoで、妻はSelvaの人である"と話していました)。
さて現在では、多くのSeneseが別のContradaに所属するSeneseと結婚または同居しているケースが多いので、Sienaのひとの家に招かれたときに、その家の装飾品だけでその人のContradaを決定するのはなかなか難しいことです。特に、女性は結婚してもContradaを換えることはありませんので、旦那さんと子供さんがあるContradaに属していても、奥様だけは別のContradaに属している、というのはよくある話です。お子さんが二人いる場合でも、”Contradaが別だと子供が可哀想だから”と、奥様だけPalioのとき別のContradaのスカーフをしている姿もよく見かけます。配偶者が完全に敵対しているContradaに属していない限り、お子さんを連れてContradaのお祭りに行くくらいは自分の中で許せる(けれども、別のContradaのスカーフを身につけることは絶対に出来ない)とある女性が話していました。
同時にSienaのCentroおよび郊外で理想の不動産を見つけるのもそれほど簡単なことではないので、そのひとが住んでいる位置だけでそのひとのContradaを想像するのも簡単ではありません(特に、Piazza del Campoが見えるような位置はSelva、Civetta、Aquila、Torre、Ondaのテリトリーですが、実際Palioが行われてみるとその窓からは様々なContradaのスカーフや旗を見ることが出来ます)。以前Chiocciolaの女性が、別のContradaに属する旦那さんとの子供のContradaを決めるにあたって、第3の手段としてその子が生まれた地区をその子のContradaとすることも可能であったが、当時彼女はChiocciolaが激しく敵対しているTartucaの領土に住んでいたため、妥協して旦那さんのContradaでの洗礼を受けさせたと話していました。
2002年7月のPalioでIstriceが勝ったために、そのあとはIstriceに属する人だけが窓に誇らしげに旗を掲げています(Palioで勝ったContradaのみが窓から旗を掲げる権利があるそうです)が、その旗はIstriceの地域だけでなく街のあちこちで見ることが出来ます(宿敵であるLupaのメインストリートvia Vallerozzi、今回のPalioでぎりぎりで負けたOndaのメインストリートvia Giovanni Dupre'などなど)。おみやげ屋さんや一部のレストランではすべてのContradaの旗が飾られていますが、実際はContradaの旗を窓辺に揚げるにあたってはいろいろ制限があり、そのContradaの領土とされているところでは、その回のPalioに参加するならばその4日前から旗を揚げてもよい、Contradaの守護聖人のパレードの日にはどこに住んでいても旗を揚げてもよい、Palioに勝ったら旗を揚げてもよいなどの規則があります。このContradaの旗がどれだけ揚げられたかでそのContradaの大きさをかいま見ることも出来ます。
Contradaの守護聖人のパレードでは、交流のあるすべてのContradaの教会を回るため、歴史的衣装に身を包んだ人々がSienaのあちこちを歩くことになります。そして、たとえ別の通りでもそのContradaに属する人が住む家があれば、その家の前で太鼓を鳴らしながら旗を揚げるショウを行うこともあります。左の写真はContrada Capitana dell'Ondaの守護聖人の日のパレードもので、Ondaの女性が住んでいるアパートの前でその女性のために行われた伝統的な太鼓と旗のセレモニーです。独特のリズムの太鼓と、いろいろな動きがある旗の振り方は中世から受け継がれていて、春になるとあちこちのContradaの掲示板に”伝統的な旗とタンバリンの教室(corso di tamburini e alfieri)が始まりました”との掲示が出されます。この旗と太鼓の技はContradaの守護聖人の日以外も、Palioに勝った場合は連夜披露出来るので、夏が近づくとあちこちの通りでこの練習をする音が聞こえてきます。また各Contradaで3人(タンバリンが1人、旗振りが2人)の名手はSienaのいろいろなイベントに呼ばれその技を披露する必要があるため、そうでなくても毎日のように息を合わせる練習をしています。
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| 新しいContradaの一員となる男の子と女の子の誕生の知らせ(Nobil Contrada del Bruco, via del Comune) |
さてContradaですが、生まれたときにそのContradaの事務局に連絡するとそのContradaの本部でご両親の名前、またはそのContradaに属している片方の親の名前とその子供さんの名前、誕生日などを掲示します。またそのContradaの教会では、女の子が生まれたときにはContradaの旗にピンク色のリボンを、男の子が生まれたときにはブルーのリボンをかけて新たに誕生したContradaの一員を全員に披露します(イタリアでは普通、家に男の子が生まれたらブルーのリボンの付いた飾りを、女の子が生まれたらピンクのリボンの付いた飾りをその家の玄関など目立つ場所に置き、近所に喜ばしい出来事があったことを報告する習慣があります。会社などでも、産休を取っていた女性が出産したあとにはその女性の机の上や働いていた場所などに。
逆にContradaの一員が亡くなったときにはContradaの旗に黒色のリボンを結び、Contrada全体で悲しみを表現しています。
この新たに生まれた子供はContradaの守護聖人(Santo prottetore)を記念した年に1回、およそ1週間の間に繰り広げられるお祭りの中で洗礼を受け、そのContradaの行進の後で親に連れられてContradaの一員として披露されます。
親は子供に小さいころからその子の属するContradaはとても素晴らしいことを教え、またそのNemiciを侮辱用語の1つのようにその子に教えていくと言われています。
守護聖人の記念のお祭りの時にはそのContradaで交通を遮断して通路にテーブルを並べ、お食事会が連夜繰り広げられます。このような食事はContradaの若者らによって用意され、その収益などでContradaを運営しているそうです。
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| Ondaの守護聖人の週間のvia Giovanni Dupre'の様子 | 路上で行なわれるお食事会のための迂回命令 | Ocaの守護聖人の週間に路上に置かれたバリケード(via S. Caterina) |
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Nobile Contrada dell'Ocaの守護聖人のお祭りの様子 (via Santa Caterina) |
SienaのそれぞれのContradaは守護聖人を持っていて、中世から伝統的に決まった時期に決まった場所で毎年欠かさずに行われ、そのContradaに属する人びと(Contradaioli)は旗を揚げたりしてそのお祭りを歓迎します。Contradaのテリトリーには、Contradaの象徴を付けたランプが若者の手によって一つ一つ付けられ、道を封鎖してテーブルを並べたお食事会が連夜行われます。集まったContradaの人びとは飲み、食べ、そしてPalioの話をし、過去の勝利を思い出してか、それともその年の勝利を祈願してか、誰かがContradaの歌を歌い始めると次々に参加者が増え、最後には大合唱となります。
いくつかのContradaではこの守護聖人のお祭りにあわせて一般にも解放した食事とディスコパーティーの夕べを連夜行います(Bruco"Bao Bello Chef"、Torre"Mangia e Bevi"、Nicchio"Fiera Gastronomia"など)。
この守護聖人の週間に、新しいContradaの一員への洗礼がそのContradaの泉の水によって行われます。Sienaの人は”Contradaに生まれ、そのContradaに死す”と言われるように生まれてから両親どちらかのContradaの洗礼を受け、それを一生変えることなく、結婚してもPalioの時だけはそのContradaの一員として応援しています。ある人は、Contradaは家のようなもので、Sienaには17の家があり、人は常にそこに戻ると話していました。
Sienaをタンバリンを鳴らしながら旗を振って回るパレードの前夜は、道にContradaの人が手作りの料理や作品を並べ、路上に置かれたテーブルにみんなが集まって祝われます。そのContradaのテリトリーの一角では人びとがお祭りを祝福してContradaの旗や飾り物を惜し気もなく飾ります。
右の写真は5月に行われたNobile Contrada dell'Ocaの守護聖人のお祭りの様子で、写真左手のオレンジ色の建物がContradaの集会所(Società)、右手にあるのがContradaの教会と美術館です。道は絵の書かれたバリケードで遮られ、この間はいっさい車が通行することが出来ません。このvia Santa Caterinaを下に降りていくと、Sienaで最も歴史ある泉Fontebrandaがあります。
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Contrada Capitana dell'Ondaの守護聖人の記念日のパレード (23.06.2002) |
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| パレードの後について進むContrada Capitana dell'Ondaの人々 |
Contradaの行進はSienaのタンバリンの音楽の中で旗を振り、投げてととても華やかなものですが、最後に自分のContradaに戻るときは厳かに、そして途中から参加したひとも含めて全員でSienaのオーケストラの音楽とともに行進します。
さてこのようなContradaの催しはそのContradaに所属する広場や庭園などで行われますが、パレードのCentro内の行進を含めてその都度交通は遮断されますのでその日にタクシーなどでCentroの中を走ろうとすると大変なことになることもあります。またパレードが行われる日にはCentroの中を通るバスには大幅な遅れが発生します。
またPalioの前にはPalioに参加するContradaで連夜のお食事会が開かれますが、この時はPalioが終わるまでの期間で多くの通りの通行が遮断されます。またPalioに勝ったContradaなどが勝利を記念した夕食会などを開きますが、この場合もある一定の空間の交通が遮断され、2000年7月、2002年の7月のようにIstriceが勝ち、Porta Camolliaの前で連夜の夕食会を開くと本来バスが通っていたPorta Camolliaの通行は完全に遮断され、バスが迂回を余儀なくさせられることになります。
ちなみにIstriceの夕食会は今までに公式にIstriceが勝利した回数である42夜行われました。次にいつその勝利の美酒を味わうことができるのかどうか判らないSienaのPalioでは、勝ったContradaはつねに心おきなくその勝利を味わい尽くします。
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