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Quattro Stagione di Siena (Seneseの一年)

有名なIl Palio以外にもいろいろある私の住む街Sienaの1年間の出来事を紹介します。
PrimaveraMarzoAutumoSettembre
AprileOttobre
MaggioNovembre
EstateGiunioInvernoDezembre
LuglioGennaio
AgostoFebbraio
"San Giuseppe"(19, Marzo)
"i tradizionali festeggiamenti per Santa Caterina"(29, Aprile)
Palio 02.07.2002(Istrice)
Palio 16.08.2002(Tartuca)
Palio 02.07.2003(Selva)
Palio 16.08.2003(Bruco)
Palio 02.07.2004(Giraffa)



Estate(夏)

夏は暑く、Palioはもっと熱いseneseの戦い

夏といえばイタリア名物gelatoの季節です。ドイツに以前住んでいた時も、イタリア料理店とアイスクリーム屋さん(イタリア語ではgelateria、語源はgelareという動詞で、凍らせるという意味があります)だけはイタリア系の人びとが経営していました。特に冬は雪に閉ざされることも多いドイツでは、イタリア人のアイスクリーム屋さんの経営者は暑い時だけドイツでアイスクリームを販売し、少し寒くなり売れゆきが鈍くなりだすとお店を畳んで故郷に帰って行ったものです。一部のお店は秋になると、クリスマスの時にドイツでよく食べられるはちみつの入ったクッキーLebkuchenのお店にくら替えし、また別の商売をしていました。
イタリアのジェラート屋さん(イタリアのものの違いはフルーツがたっぷり入っていることで、ドイツ人の好むミルクがたっぷり入ったアイスクリームと区別するために、ここからはジェラート屋さんと書くことにします)はほぼ1年中営業しています。ほぼ、と言う言葉を付けたのはクリスマスの時期などに1か月くらいお休みを取ることがあると言うことで、冬にイタリアに立ち寄って頂いても昼間は暖かく過ごしやすいので、ジエラートも良く売れ、いくらかのお店は営業していると言うことです。寒くなると、このあとに書くようなジェラートが溶けて大変ということはあまりありません。
5月、6月頃と、暖かいというよりは暑いという時期になると、イタリアでは観光客などがジェラート屋さんに群がり、あっと言う間に解けていく甘い誘惑を堪能しています。私が住んでいるSienaの旧市街にもいくらかの美味しいジェラート屋さんがあり、大きな街ではないのでどこでも良心的なお値段で売っています。陽射しが本当に強いのでジェラートを食べながら落ち着いてウインドウショッピングができるのは夏の夜で、昼間にジェラートを買ってしまったら溶け出して手を汚す前に急いで食べてしまわないと大変なことになります。お店ではいろいろな大きさのコーン、紙のカップに入れて販売していますが、味わって美味しく食べたい方にはできるだけ小さい単位で(イタリア語のpiccoloが小さいという意味で、piccolissimoというと最上級になり最も小さいという意味になります)購入し、足りない分はまたあとで購入されることをお勧めします。カップに入っているものは溶けても手を汚しませんし、コーンのジェラートを食べることに抵抗がある方にも(そういえばドイツでの私のドイツ語の先生は、おばあさんにミネラルウオーターを瓶から直接飲んではいけないといわれたと話していました)向いていると思います。
観光ガイドなどにはイタリアのBar(バール、コーヒーやサンドウイッチなどがうっているところです)では座って食べるのと立って食べるのでは値段が違うので気を付けて下さいと書いてあります。初めてイタリアに来た時は、私もどういう意味なのだろうと思ったのですが、お店にいくと壁に、立って食べた時と(サービスを受けて)座った時の2種類の値段が書いてあります。普通のイタリア人は安い方の料金を払ってさっとコーヒー(といっても濃いエスプレッソです)を飲むか、またはなじみのBarでは自分で席に座って新聞などを読みながら時間を過ごします(住宅地などのBarはおなじみのお客さんを大切にしているので料金表は1つしかない場合が多いです)。
先日テレビを見ていたら、イタリアの各種観光地で、イタリア人(イタリア語をネイティブに話す)と、アメリカ人(本当はイタリア語を理解するが、基本的に英語しか話せないふりをしている)の両方に同じことをさせて、いくら要求するのかという比較をしていました。本来1Euroのエスプレッソと、クロワッサンか何かを取っていたようでしたが、ある観光地では10ユーロくらい、ベネチアのSan Marco広場では、アメリカ人のグループの方は20ユーロ以上要求されていました。といってもイタリア人の方もかなりの額を要求されており、特に有名な観光地の広場で座ってカプチーノなどを堪能した場合、場所代を含めてかなりの額を要求される可能性があることは覚悟した方がいいと思います。以前FirenzeのPiazza della Repubblicaで友人とカプチーノとラッテマッキャート(Latte macchiato:latteは牛乳、macchiatoとはもともとは染みが付いた、という意味ですがこの場合は白い牛乳にエスプレッソをほんの少し入れて染みを付けた飲み物です)を頼んだ時には、カプチーノが3Euro、ラッテマッキャートには4Euroの値が付いていました。これがどのくらいの値段かというと、Sienaのメインストリートであるvia Banchi di SopraにNanniniというBarがあるのですが、そこで立って同じものを頼んだ場合両方1Euroでしたのであわせて2Euroになるはずです。といってもせっかく高いお金を払ってイタリアに来てあまりケチケチしていても仕方ないのですが。
その番組はさらに続き、どこか観光地の、屋台の出店のようなところに辿り付きました。私もイタリアの首都Romaの中にある、ローマ法王がいらっしゃるバチカン市国に行こうとした時、イタリア側にそのようなジュースやパンを売る屋台を見かけましたが、その当時あまりイタリア語が得意ではなかったので500mlのコカコーラのペットボトル1本に4Euroも払ってしまった苦い記憶があります。と、前置きが長くなりましたが、彼らもやはり1本5Euroなりを請求されていました。そのテレビではそのあと、アメリカ人がイタリア語で”高い!!”と言ってみたら”じゃあ、まけて3Euroでどうですか”と商売していましたが。そしてイタリア名物の路上でブランドもののかばんやサングラスを販売する外国人も出て来て、イタリア人には1つ10Euro程度で販売したサングラスをアメリカ人には最初”150Euroでいかがですか”と販売していました。もちろん彼らは警察の許可を受けて販売しているわけではなく、先日Firenzeに行った時も、Ponte Vecchioのそばで、つい5分前にはサングラスやアジアの小物をうっていた人びとがあっと言う間に店じまいをして道ばたに立っていました(たまにテレビのニュースで摘発されて売り物を没収されないように逃げる姿を映しています)。
2004年のPalioに参加するContrada
7月2日8月16日
torreocapanteraoca
lupaondadragomontone
brucomontonetartucaselva
dragogiraffanicchioleocorno
selvapanteraaquilabruco

2002年のPalioに参加するContrada
7月2日8月16日
panteraocapanteraoca
lupaondalupaonda
brucoistricebrucoselva
montonechiocciolaleocornotartuca
aquilatorremontonedrago

6月を過ぎ、子供たちが夏休みを迎え、暑くなってくるとSienaの市民(senese)は海を求めて、週末を海岸で過ごそうと出かけてゆきます。それに便乗するようにSienaのバス会社のTra.in社も、seneseが愛し、また一部の市民が別荘を所有しているPiompino、Follonicaなどの海岸に向けてバスを走らせます。この時期になるとさらに車でSienaに来る観光客も増えて、バスの時刻表などは全くあてにならない時がやって来ます。 Sienaの有名な祭りil Palioは7月2日(in onore della Madonna Santissima di Provenzano)と8月16日(in onore di Maria Vergine Assunta)に行なわれ、7月2日のPalioはSanta Maria di Provenzano教会に、8月16日のPalioはDuomoに勝利の報告が行われます。(ちなみに、2001年7月に勝ったのはLeocorno、8月に勝ったのはDrago、2002年7月に勝ったのはIstrice、8月に勝ったのはTartuca、2003年7月に勝ったのはSelva、8月に勝ったのはBruco、2004年7月に勝ったのはGiraffaで、いまのところ一番勝利から遠のいているContradaはTorreです)。

またPalioとは別に、主に日曜日に中世のContradaの衣装に身を包んだ行列を見ることもあります。これは各Contradaごとに決まった、そのContradaの聖人を記念するお祭りのクライマックスのイベントとして行われるもので、その守護聖人の記念日に従って毎年同じ時期に伝統的に行われています。
2002年は4月28日(日曜日)にMontoneが、5月9日(日曜日)にOcaが、5月26日(日曜日)にDragoが、6月2日(日曜日)にGiraffaが、6月16日(日曜日)にCivettaとTartucaが、6月23日(日曜日)にはLeocornoとOndaが、6月29日(土曜日:Palioに参加するContradaに馬が配分される"Tratta"の日です)にはChiocciolaが、7月7日(日曜日)にはBrucoが、7月28日(日曜日)にはTorreが、8月11日(日曜日)にはNicchioが、8月25日(日曜日)にはIstriceとSelvaが、9月1日(日曜日)にはLupaが、9月15日(日曜日)にはAquilaがSiena市内を歴史的衣装を着て、すべてのContradaの教会を訪問しながらSiena市内を回るパレードを行いました。
Palioに参加するContradaは前回出場しなかったContradaに優先出場権があり、残りの出発権をめぐってPalioの5週間前の日曜日の19時にParazzo Pubblico内で抽選会が行なわれ、出場する10のContradaの旗がParazzo Pubblicoの1段目に、出場できない7のContradaの旗がParazzo Pubblicoの2段目に掲揚されることにより発表されます(2002年は7月2日のPalioに関しては5月26日に、8月16日のPalioに関しては、7月のPalioが終了した週の日曜日である7月7日に抽選が行われました)。また今年出場しなかった7つのContradaには、そのContradaが何らかの不祥事を起こして出場停止処分を受けていない限り、自動的に来年のその月の出場が決定されます(上の表で緑字で書かれているのは2002年5月26日の抽選で、赤字で書かれているのは2002年7月7日の抽選で選ばれたContradaです)。

"palio"の語源はラテン語で布を表す"pallium"から来ているといわれ、Contradaのシンボルの旗をスカーフのように体に身に付け、またContradaの旗を振りながら自分のContradaを応援するお祭りpalioそのものを示しています。イタリアでは中世にSiena以外でもさまざまな都市で馬を用いたレースが行われていましたが、Piazza del Campoという市庁舎の前の傾斜のある広場で、現在でも中世の様式で伝統的に行なわれるのが功を奏したのか現在ではSienaのpalioはイタリアの伝統的な馬によるお祭りの中では最も有名なものとなりました。書類上のSienaにおける最初のpalioは1238年8月16日のものとされているそうです(優勝旗Drappelloneに関しては最も古いもので15世紀のものが残っています)。
Sienaの街は後述するように3つのTerzoと言われる地区に分けられ、さらにその地区があわせて17のContradaに地理的に分けられています。それぞれのContradaにはその象徴があり、シンボルカラーとその旗の下にはContradaのPrioreを頂点とした関係が出来ています。幼い頃から地域のContradaの中でこどもが育てられるせいか、Contradaの中では階級だけでなく年齢やContradaへの貢献によって順位付けがなされ、それぞれがそれぞれの役割を果たしながら地域共同体を作っています。
Siena出身の人はまずどのContradaの出身であるかを最大の誇りとしており、palioはこのContradaのあいだの戦いともいえるものです。そのためこのSienaではContradaの異なる者同志が結婚する場合にはその子をどちらのContradaに所属させるかが親御さんにとって最も重要な問題となるといわれています。
Sienaの街は13世紀に区切られた3つのゾーンTerzo di Camollia, Terzo di Citta', Terzo di San Martinoに分けられ、Terzo di Camolliaにはlupa, istrice, oca, drago, bruco, giraffaの6つのContradaが、Terzo di Citta'にはselva, aquilla, onda, pantera, tartuca, chiocciolaの6つのContradaが、Terzo di San Martinoにはnicchio, torre, montone, civetta, leocornoの5つのContradaが現在まで存続しています。Sienaの街の道りのあちこち(特にContrada間の境界)にはその通りがどのContradaに属するかを示した(というより主張している)プレートがはめこんであり、またContradaに関係するものも随所に見られますので、それを見ながら中世の街並みを散歩されても楽しいと思います。さて中世には最大で42あったといわれるSienaのContradaですが、ペストの流行やたびたび行われた戦争などで1729年の記録では現在と同じ数である17のContradaが記録されています。
Sienaの人々のPalioへの興奮は事実上Palioの競技の3日前の午前中、Piazza del CampoでPalioに出場する馬の選抜試験と、それに引き続いて各Contradaへの馬のくじ引きによる配分が行なわれたときから開始され、その日の夕方からPalio当日まで朝夕1日2回のProvaと呼ばれる練習走行が行なわれ、夜にはSienaの街の旧市街の、Contradaでそれぞれゆかりのある象徴的場所で路上や広場にテーブルを並べての盛大なContradaの夕食会が行なわれます。

Contradaシンボル重要な場所Contradaへの入り口守護聖人(Santo prottetore)と記念日同盟関係のあるContrada対立関係のあるContrada姉妹都市
Terzo di CamolliaLupa乳を与えるメス狼とそれを吸う2人の赤ん坊白と黒がメインにオレンジ色のアクセントVallerozzivia Vallerozziの始まりSan Rocco di Confessore
8月16日
-IstriceRoma
Contrada Sovrana dell'Istriceハリネズミと王冠白のバックグラウンドに赤・黒・青Camolliavia Montaniniの終わりSan Bartolomeo Apostolo
8月24日
Bruco, Chiocciola, Civetta, GiraffaLupaPerugia
Nobile Contrada dell'Oca青いリボンで十字架を下げたガチョウと王冠白と緑に赤のアクセントFontebrandavia S. Caterinaの始まりSanta Caterina da Siena
4月29日
-TorreTrieste
Drago翼のある龍と王冠赤と緑に黄色のアクセントCamporegioP.za delle PosteSanta Caterina da Siena
4月29日
Aquilla-Pistoia
Nobil Contrada del Bruco薔薇の上をはうイモ虫と王冠緑と黄色に青のアクセントVia del Comunevia di Marzoの始まりMadonna della Visitazione di Maria Santissima
7月2日
Chiocciola, Istrice, Nicchio, TorreGiraffa
Imperiale Contrada della Giraffa黒人に引かれたキリン赤と白Provenzanovia Lucheriniの始まりMadonna della Visitazione di Maria Santissima
7月の第3日曜日
Civetta, Istrice, PanteraBrucoGrosseto
Terzo di Citta'Selva緑の葉のあるオークの木と1頭のサイ緑とオレンジに白のアクセントVallepiattavia dei Pellegriniの始まりMadonna Assunta
8月15日
Chiocciola, Tartuca-Cuneo
Contrada Capitana dell'Ondaイルカと王冠白と水色Malborghettovia Dupre'の始まりVisitazione di Santa Maria Vergine
7月2日
Tartuca, Montone, NicchioTorre
Nobil Contrada dell'Aquila2つの頭を持つワシと王冠黄色に黒と青のアクセントCasatoP.za del Campo上のBocca del CasatoLa Vergine (Nome di Maria Santissima)
9月8日
Civetta, DragoPanteral'Aquila
la Valetta(マルタ)
Pantera立ったヒョウと王冠赤と青に白のアクセントStalloreggivia StalloreggiがQuattro Cantoniと交わるところSan Giovanni Decollato
8月29日
Chiocciola, Civetta, Giraffa, LeocornoAquilaLucca
Tartucaカメとひな菊黄色と青Castelvecchiovia Tito Sarrocchiの終わり Sant' Antonio da Padova
6月13日
Leocorno, Onda, Nicchio, SelvaChiocciolaTrento
Chiocciolaかたつむり赤と黄色に青のアクセントSan Marcovia Santa Luciaの始まりSS. Apostoli Pietro e Paola
6月29日
Bruco, Istrice, Pantera, SelvaTartucaVenezia
Terzo di San MartinoNobil Contrada del Nicchio貝とサンゴと王冠青に赤と黄色のアクセントPispinivia dei Pispiniの始まりSan Gaetano da Thiene
8月7日
Bruco, Onda, TartucaMontone
Torre背中に塔を乗せた象濃い紫に白と水色のアクセントSalicottovia Salicottoの始まりSan Giacomo Maggiore Apostolo e Sant'Anna
7月25日
BrucoOca, Onda
Valdimontoneヒツジと王冠赤と黄色に白のアクセントPonte di Romanavia dei Serviがvia del Soleと交わるところMadonna del Buonconsiglio
4月26日
OndaNicchio
Contrada Priora della Civetta枝の上に立つフクロウと王冠赤と黒に白のアクセントCastellarevia Cecco Angiolieri Sant'Antonio da Padova
6月13日
Aquila, Giraffa, Istrice, PanteraLeocorno
Leocorno立った一角獣白とオレンジに青のアクセントPantanetovia Follonicaの始まりSan Giovanni Battista
6月24日
Tartuca, PanteraCivettaViterbo

中世からの長い歴史をもつ街Sienaでは数世代前から仲が良くなかったContradaの組み合わせがあり、たとえ自分のContradaがPalioで勝つことができなくともその敵が勝たなければまあ許せると感じるそうです。

特に仲が悪いとされるContrada
Oca-TorreIstrice-LupaChiocciola-TartucaNicchio-Montone
Bruco-GiraffaAquila-PanteraCivetta-Leocorno

同じ街に住みながらなぜそこまで相手の失敗を望むのかとは他の街に住んでいるひとなら誰でも思いそうなことですが、これに対して各Contradaのリーダー格の人が"この対抗精神があってこそ今までこのPalioが昔のまま保存されてきた"とあるインタビューで話していました。これによれば、対立するContradaがあったほうがよりContradaのメンバーの士気が上がるそうです。なぜ対立しているかにはいろいろ説がありますが、多くは1729年にSienaを現在の17のContradaに区切ったときに自分たちのContradaのエリアだと思っていた部分が隣のContradaに持っていってしまわれたりしたのに由来しているそうです(OcaとTorre以外は全て隣接しているContradaです)。また昔、PalioでMontoneが勝利の一歩手前であったときにNicchioに邪魔されて勝ちを逃したりというようなこともこの対立しているContrada間では発生しています。未遂に終わりましたが、2004年7月にもPalioの本番で、Nicchioの若者が観覧席からMontoneの馬の走路を防害しようとしていたことがSienaの地方新聞で報じられていました(これに関してはお咎めなしの模様でした)。

Palioの見学案内


イタリアの国営放送RaiによるPalioの中継は午後6時から午後8時ですが、実際は午後4時くらいから中世から伝わるContradaの衣装を着た人々によるContradaの旗のショウや馬の行列、Palioと呼ばれる勝ったContradaが受け取ることのできる旗の入場などと多くのプログラムがあり、それまではPiazza del Campoの中で座って場所をとっておくのも、3つある大きな出口から外に出るのも可能ですがそれ以降はvia Giovanni Dupre'からしか中に入ることができなくなります。また行列が始まってからvia Giovanni Dupre'以外の場所でPalioのコースとなる道は通れなくなりますのでPiazza del Campoの回りの有料の席を購入された方は近くの入り口から裏を通って席に行くことになります。ちなみにこの有料の席ですがPalioの前に余っている席などがあれば周りで売っているそうですが、接待などにも使われるらしく観光客が自力で事前に購入するのは困難なものであるそうです(ちなみに私もどこで購入できるのかよくわかりません)。
またPiazza del Campoの中には朝早くからカーブのところ、ゴールのところなどの場所を確保するひとが見られます。しかしPalioが行なわれる夏はとっても暑いのでミネラルウオーターなどをたくさん持参されることをおすすめします。また別に3時、4時にPiazza del Campoに入ってもPiazza del Campoに傾斜があるためそんなに見えないことはなく十分Palioを楽しむことができますのでご安心下さい。中世の行列などはvia Cassato di Sottoから入ってきてPiazza del Campoを回りPalazzo Pubblicoの前の指定席に座るか外に出て行くことになります。Sienaの17のContradaが行進しながら何個所かでContradaの旗を投げたりするのでこれの終了までにはかなりの時間がかかります。ちなみにPiazza del Campo内の、via di Salicottoとvia San Martinoのあたりには見物席がなくマットレスのようなものが置いてありますが、これはこのカーブのところで落馬などの事故が多いためです。
練習走行の場合、Piazza del Campoの中に最後まで入れるのはPalio当日とは異なりvicolo del Pollaioliになります。また、観光客の少ない午前9時の練習走行はだいたい9時15分ごろ始まりますが、午後7時の練習走行は事実上Piazza del Campo内部に入ることができるのが午後7時まででその後馬の入場、掃除などがありますので実際に練習走行が開始されるのは午後7時45分くらいになる傾向があります。

Palio当日の予定

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7月2日8月16日
7:45Piazza del CampoのCappellaでのSienaの大司教によるPalioに参加する騎手を祝福するためのミサ
9:006回目(最後)の練習走行
14:3014:00Sienaの17の全てのContradeによる中世の衣装を纏っての登場
15:3015:00Palioに参加するそれぞれの馬への、Palioに参加するそれぞれ10のContradeによる祝福およびPiazza del Duomo内のPalazzo del Governoの廊下への出陣
16:3016:00Palioに参加するの馬のPalazzo del Governoからの出発、via del Casato di Sottoを通ってのPalazzo Pubblico内への入場
17:2016:50歴史的パレードのPiazza del Campoへの入場
19:3019:00Palioに参加する馬、騎手のPiazza del Campoへの入場、Palioのレースの開始
レース後、勝利したContradaは7月のPalioの場合はSanta Maria in Provenzano教会、8月のPalioの場合はDuomoに騎手とともに感謝を告げに行き、その後1晩中centro内で勝利の宴が開かれます。
またその翌日、Palioに勝利したContradaによるcentro内のパレードが行われます。

7月2日のil Palio

2002年7月2日のPalioに参加したContradaと馬・騎手(勝ったのはIstrice)
Contrada騎手最後の勝利Contrada騎手最後の勝利
BrucoUrban II
(9歳、去勢雄)
Luigi Bruschelli(Trecciolino)16.08.1996ChiocciolaVai Go
(8歳、雌)
Boris Pinna(Pinturicchio)16.08.1999
IstriceUgo Sancez
(9歳、去勢雄)
Luca Minisini(De')02.07.2000OcaAlghero
(6歳、去勢雄)
Giuseppe Pes(il Pesse)02.07.1999
ValdimontoneAlanis
(6歳、雌)
Massimo Coghe(Massimino)16.08.1990PanteraZetsunn
(7歳、去勢雄)
Dino Pes(Velluto)02.07.1994
OndaZilata Usa
(7歳、去勢雄)
Alberto Ricceri(Salasso)02.07.1995TorreAltoprato
(6歳、去勢雄)
Walter Pusceddu(Bighino)16.08.1961
LupaAscon
(6歳、去勢雄)
Salvatore Ladu(Cianchino)02.07.1989AquilaVenus VIII
(8歳、去勢雄)
Andrea Mari(Brio)03.07.1992
6月29日の午前中に、7月2日のil Palioに参加する10頭の馬の選抜試験が行われ、その日の午後にPiazza del Campoで参加するContradaに馬を振り分けるくじが行われます。その後午後7時45分からPalioの最初の練習走行が始まります(練習走行の場合も始まる少し前にPiazza del Campoの中に入る入り口の門を閉めますので早めに中に入られることをおすすめします; 練習走行の場合、Piazza del Campoの中に最後まで入れるのはPalio当日とは異なりvicolo del Pollaioliになります)。翌30日には午前9時、午後7時45分にPalioの2回目、3回目の練習走行を行います(雨などで練習走行が中止になる場合にはPalazzo Pubblicoに緑色の旗が掲げられます)。7月1日の午前9時に最後の練習走行を行うと、その日の午後7時にPalioのリハーサルが行われます。その後各Contradaごとに路上にテーブルを並べてContradaのキャプテン、騎手、馬とともにPalioの前の最後の食事会を行います。なおContradaの食事会の参加費は通常15Euroくらいといわれていますが、Palioの前の最後の食事会の場合は30-40Euro程の参加費がかかるそうです。
Palioの当日2日午前9時に最後の演習が行なわれ、その後午後3時頃にそれぞれのContradaの教会で最後の勝利を願う祝福が行なわれたのちContradaの中世の衣装を着た人々に囲まれてPalioに参加する馬と旗手がPiazza del Campoに向けて出陣します。この馬と旗手はPiazza del Campoの裏またはPalazzo Pubblicoの中でPalioのレースが始まるまで待っています。さてPiazza del Campoの中は時間とともに人であふれてきますが、午後5時くらいからPiazza del Campoの中に入ることが出来るのはPiazza del Mercatoの裏の道のみになります(Piazza del Campoの周りの席のチケットを買われた方は席の近くの入り口から入れると思います)。イタリア国営放送Raiの放送が始まる午後6時頃にまず中世の衣装を着たSienaの17のContradaの代表によるContradaの旗のショーやSienaの音楽隊の行進、中世騎馬隊のショーなどがあります。
この行進のほとんどはDuomoを出発しvia San Pietro, via Casato di Sottoを通ってPiazza del Campoに向かいますのでこの行進を間近で見られたい方はこの近くで観覧されたのちにvia Giovanni DupreからPiazza del Campoに入られることをおすすめします。
実際にPiazza del Campoに馬が入場するのは午後7時過ぎで、スタート時の位置を決める最後のくじが行われたのち、その順番通りに馬を並べてスタートします。この時、10頭いる馬の中で最後の一頭がある枠の中に入ったときにレースがスタートされるのですが、最後の一頭の騎手は自分に最も都合の良いときを待ち、残りの9頭の馬も日本の競馬の様に枠が定められているわけでもないのでうろうろするために何度もやり直しになったりします。
スタートしてPiazza del Campoを最も早く3周した馬が勝者となるのですが、このとき騎手が落馬しても馬のおでこのところに付けてあるContradaの飾りが落ちていなければ、その馬も勝つ権利を持っています(装身具なしの裸馬に乗って狭いPiazza del Campoをものすごいスピードで走るので、壁などに当たって多くの騎手が馬から落とされます)。
2001年7月2日のPalioで勝ったLeocornoの騎手も途中で落馬して病院に送られたそうですが、この馬Ugo Sancezだけが神懸かり的に前に向かって走り、最終的に1位で入ったので結果としてContrada del LeocornoがPalioを手にし、大勢のLeocornoの人々がこの馬に感謝の抱擁を行いました。さてPalioで勝つと、7月2日の場合はSanta Maria di Provenzano教会に馬・騎手およびContradaの熱狂した人々が勝利の報告に行くことになります。
2002年7月のPalioではスタートから飛ばして、2週目までトップを走っていたBrucoの本命馬Urban IIが騎手の走路ミスを含めてOndaの大穴馬Zilata UsaおよびIstriceのUgo Sancezに抜かれ、最終カーブでOndaの騎手がカーブを強く曲がりすぎたためにバランスを崩し、その隙にUgo Sancezが抜いて結果的にIstriceが勝利を手にしました。
2002年8月のPalioでは最後の馬として指名されたLupaの馬Venus IIIがなかなかスタートしなかったためにTartucaの馬Berioのてい鉄が外れ、その後Dragoの馬Altopratoのおでこに付いていた装身具が外れそうになり、最初の有効でないスタートのあとにはSelvaの馬Brentoが故障しレースを断念するというハプニングがありました。ちなみにこの回のPalioではTartucaが勝ったのですが、レース後Lupaの騎手Giuseppe Pesが彼に賄賂を贈ったとされるIstriceに所属する若者に殴られたり、あるContradaの騎手が別のContradaの騎手に殴られたことを主張したためにこれらのContrada間で小競り合いが発生するなどのあまり美しくない光景も発生したそうです。
ちなみに 鞍なしで競技するPalioには常にドラマが起きる舞台が用意されているみたいです。

Palio以外の夏の行事

Rigoletto
Piazza del Campoで上演されたオペラ"Rigoletto"の風景(02.08.2002)
Palioが近づくと観光客だけでなくSeneseもふるさとに帰ってきますのでSienaの街の混雑はものすごいものになります。ゆっくり街を観光されたい方にはそれ以外の日もおすすめです。2002年にはPiazza del Campoで8月2日の夜にGiuseppe Verdi作のオペラ"Rigoletto"が上演されました(このオペラのPiazza del Campoでの上演は数年前から始まったそうです)。また8月30日にはSiena出身の歌手Gianna Nanniniらを招いてのコンサートも行われました。

また1932年にGuido Chigi Saracini侯爵により創設されたl'Accademia Chigianaの主催するコンサートなどを楽しむこともできます。2002年のコンサートは"Settimana Musiicale Senese"としてAcademica Chigianaの夏の音楽学校の講師として招待されているBruno Canino, Kim Kashkahian, Giuliano Carmignola, Alain Meunier, Patrick Gallois, Maurizio Pollini, Jurij BashmetなどのコンサートがSiena市内およびその周辺で行われました。

l'Accademia Chigiana; via di Citta' 89 (//www.chigiana.it)

8月16日のil Palio

2002年8月16日のPalioに参加したContradaと馬・騎手(勝ったのはTartuca)
Contrada騎手最後の勝利Contrada騎手最後の勝利
BrucoAttilax
(6歳、去勢雄)
Giuseppe Zedde(Gingillo)16.08.1996TartucaBerio
(5歳、去勢雄)
Luigi Bruschelli(Trecciolino)16.08.1994
OcaVarco II
(8歳、去勢雄)
Andrea Mari(Brio)02.07.1999LeocornoZodiach
(7歳、去勢雄)
Walter Pusceddu(Bighino)02.07.2001
SelvaBrento
(5歳、去勢雄)
Antonio Villella(Sgaibarre)09.09.2000PanteraZilata Usa
(7歳、去勢雄)
Massimo Coghe(Massimino)02.07.1994
OndaAlesandra
(7歳、雌)
Alberto Ricceri(Salasso)02.07.1995DragoAltoprato
(6歳、去勢雄)
Luca Minisini(De')16.08.2001
LupaVenus III
(6歳、去勢雄)
Giuseppe Pes(il Pesse)02.07.1989ValdimontoneBig Bir
(5歳、雌)
Dino Pes(Velluto)16.08.1990


palio in Piazza del Campopalio in Piazza del Campo
Palioの前に行われた中世の騎士の行進Palioの様子
7月2日のil Palioと同様に、8月13日に16日のil Palioに参加する10頭の馬の選抜試験が行われ、その日の午後にPiazza del Campoで参加するContradaに馬を振り分けるくじが行われます。その後午後7時45分からPalioの最初の練習走行が始まります。翌14日には午前9時、午後7時45分にPalioの2回目、3回目の練習走行を行います。翌15日の午前9時に最後の練習走行を行うと、その日の午後7時にPalioのリハーサルが行われます。7月のPalio同様に前夜に盛大な食事会が行われPalioの当日16日午前9時に最後の演習が行なわれます。その後7月同様に勝利した馬が今度はDuomoに馬・騎手およびContradaの熱狂した人々が勝利の報告に行くことになります。なおPalioの前日8月15日はイタリアの祝日です(FerragostoまたはAssunzione)。またPalioの後は勝ったContradaでは大祝賀会が行われ、その場を訪れる人にもハウスワインがタダで振る舞われます。Contradaの教会に勝利の報告をしたContradaに属する人々はその後Siena市内を夜遅くまでパレードしています。さらに翌朝勝ったContradaの勝利の行進が行なわれます。
dopopalio in duomodopopalio
Palioの後のDuomoでの勝利の報告翌日の勝利のパレード
この2001年8月16日のPalioで勝ったContrada del Dragoのひとびとはその後夏の間連夜深夜12時から2時くらいまでContradaの歌を歌いながらContradaの旗をもってSiena市内をパレードしていました。さらに10月に入ってからPiazza Matteottiにテーブルを並べて1週間くらい連夜大宴会をしていました。さて彼らはパレードの時に哺乳瓶やおしゃぶりを持っていますが、これは”Palioで勝ったContradaに所属するひとは生まれ変わる”という言い伝えによるものだそうです。何代もSienaのcentroの街で育ったSeneseにとってContradaとは幼いときから親しむほぼ宗教的に熱狂しているものです。なおSeneseは所属するContradaを変えることは許されていないそうです。
昨年8月上旬に会ったSeneseのある少年は父親がContrada del Dragoに、母親が他のContradaに属する、Dragoの少年でしたが心を込めて人生とDragoについて語ってくれました(彼のお母さんは彼が父親のContradaに熱中することに不満を持っていましたが)。また別のSeneseの女性も、彼女が幼いころにお母さんが乳母車を押してContradaの行事に連れていってくれたこと、Contradaの保育部門で同じ近所の子供と楽しく過ごしたことを語ってくれました(彼女も別のContradaに所属する男性と暮らし、1人目の子供に旦那さんのContradaの洗礼を受けさせたことに少し不満を感じているそうです)。
また9月にはこの2回のPalioで勝ったContradaによる勝利の宴が予定されています。
なお8月の中旬からおよそ1カ月間、SienaのDuomoの通常は保護のために覆っている床の絵を見ることができるそうです(2002年は8月25日から10月6日までの予定であるそうです; 5.5Euro)。
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参考文献; La Terra in Piazza, 1994, nuova immagine editrice (University of California Press)