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2004年のil Palio

2004年のシエナのパリオ(il Palio di Siena)に参加するシエナの町内会コントラーダ(Contrada)
7月2日8月16日
torreocalupaonda panteraocadragomontone
brucomontone tartucaselva
dragogiraffaselvapanteranicchioleocornoaquilabruco

緑色の字で書いてあるのは2004年5月30日の抽選(Estrazione)で選ばれた、昨年7月にパリオに参加し、今年も7月のパリオに参加することが許された町内会(Contrada)、赤色の字で書いてあるのは2004年7月11日の抽選で選ばれた、昨年8月にパリオに参加し、今年も7月のパリオに参加することが許されたContradaです。
シエナには17の町内会がありますが、パリオの競技の時の安全性を考慮してそのうち10のコントラーダだけがパリオに参加できるルールになっています。基本的には、7月のパリオの場合、前の年の7月のパリオに参加できなかった7つのコントラーダが優先出場枠を持ち、残りの3つの枠をパリオの5週間前の日曜日に行う抽選会によって決定します。
今回はコントラーダの1つIstrice(ヤマアラシのコントラーダ)が抽選から除外されていますので、昨年7月または8月のパリオに参加しなかった残り6つのコントラーダが既に選ばれており、残りの4つの枠を巡っての抽選が行われます。Istriceは2003年8月から数えて4回のパリオへの出場停止となっていて、2005年8月のパリオから復活します。コントラーダ同士の小競り合いでパリオの出場停止を食らうのは珍しいことではなく、過去にもTartuca(カメのコントラーダ)が1997年から3回、その他Torre(塔のコントラーダ)が1993年から2回、Bruco(虫のコントラーダ)が1989年から2回などの出場停止を食らっており、1966年から現在までの間に一度も出場停止を食らっていないのはSelva(森のコントラーダ)、Giraffa(キリンのコントラーダ)、Civetta(フクロウのコントラーダ)の3つのコントラーダだけです。

Palio di Provenzano; 2004年7月2日のPalio

5月30日の夕方に行われた抽選会(Estrazione)で、その日に伝統の守護聖人のために市内を巡るパレードを行っていたDrago(竜のコントラーダ)、昨年8月にnemica(歴史的に敵対するContrada)であるBruco(虫のコントラーダ)に勝利を持っていかれてしまったGiraffa(キリンのコントラーダ)、昨年7月に行われたパリオに勝ったSelva(森のコントラーダ)および昨年7月に行われたパリオに参加したPantera(豹のコントラーダ)の4つのContradaが選出されました(本来は昨年7月に参加しなかった7つのContradaと抽選で選ばれた3つのContradaが参加を許されるのですが、Contradaの1つIstrice(ヤマアラシのコントラーダ)が2年前の8月のパリオのあとに問題を起こしたために、来年7月のPalioまでPalioへの参加が禁じられている"squalifica"のため、昨年のPalioに参加した10のContradaのうち4つのContradaが今年7月のPalioへの出場枠を争う抽選に参加しました)。Selvaはライバル(nemica)のない唯一のContradaで、またここ50年を見ると最も多くの回数勝ったContradaです。今回のパリオに参加するコントラーダの一つDragoは、Lupa(雌狼のコントラーダ)を敵対するContradaとして歴史的に意識しているそうですが、Lupaはシエナで最も大きいContradaであるIstriceと対立するので精一杯であるといわれています。
なお、15世紀に記録が正式に開始されてから2003年の8月までで最も多く勝っているContradaはOca(アヒルのコントラーダ)の63回、逆にこのOcaのライバルであるTorre(塔のコントラーダ)は現在最も勝利から遠ざかっているContradaで、1961年8月のパリオ以来残念ながら負け続けています。このTorreをライバルとして敵視しているContradaはOcaだけでなく、Torreと隣接するOnda(波のコントラーダ)もあります。シエナのお年寄りの話によるとTorreもシエナで最も誇り高いOcaとの対立にあまりに集中しすぎて、Ondaには大した敵意を持っていないそうですが、常にシエナの街でContradaの対立について語られるときにはこの3つのContradaの深い溝についての話となっています。パリオで勝ったContradaの人々は新たに生まれ変わるとのシエナの言い伝えから、シエナでは17の地区で最も勝利から遠ざかっているContradaのことを"Contrada della Nonna"(お婆さん)などという風習もあり(よく年配の方がかぶっていると言う縁のない頭巾の名称"Cuffia"ともよばれます)、唯一テレビがまだ白黒だった時代にしか勝っていないTorreは今年こその雪辱を果たすために勝利を切望しています。

ライバルnemicaが参加することで波乱があるのでは、とも予想されているのがOca - Onda - Torreのトライアングルですが、参加出来ないPanteraの宿敵Aquila(双頭の鷲のコントラーダ)、2年前のパリオでLupaの騎手を買収したとも言われるIstrice、Montone(雄羊のコントラーダ)と深く敵対しているNicchio(貝のコントラーダ)などが撹乱することも予想されています。
シエナでは昔から"4 Verdi(Quattro Verdi)"として、4つの、Contradaの基本色に緑色を持つContrada(Drago、Oca、Selva、Bruco)がパリオに参加する回のパリオは何らかのドラマがあると言われているので、今年のパリオでも何かあるのではと予想されています。

6月26日の夕方Parazzo Pubblicoで今回の勝ったContradaに与えられる優勝旗Drappelloneが発表されました。今年は、シエナが第2次世界大戦で連合軍によって解放された年から60年となることも記念して、Gabriele Luzzatiによってデザインされました。

Assegnazione dei cavalli

7月のパリオの4日前の6月29日の午前中に、参加を申請した馬の中から選ばれた馬によるTrattaが行われ、各ContradaのCapitanoによりパリオに参加する10頭の馬が選ばれ、その昼に、Piazza del Campoでパリオに参加する10のContradaに馬を割り当てる抽選が行われました。一昨年8月、昨年8月の2回のパリオを手にした最も人気のあった馬Berioが、その前のTrattaで小さな事故を起こしたために、獣医から外すようにとの助言を受け、残念ながらこの10頭の中に選ばれませんでした。
シエナのパリオでは参加するContradaは最も大切な要素である馬を自分で選択することが出来ずくじ運のみに任せることになります。そして競技に参加する馬はすべてが最高の馬ではなく、ハプニングを期待した馬や決して勝つことが出来ないだろうと予想されている駄馬も含まれています。このことからもパリオで勝つために最も大切なことはすべてにおける運だと言われています。

2004年7月2日のPalioに参加したContradaと馬・騎手(勝ったのはGiraffa)
Contrada騎手最後の勝利Contrada騎手最後の勝利
TorreBrento
(7歳、去勢雄)
Giuseppe Zedde(Gingillo)16.08.1961DragoAltoplato
(8歳、去勢雄)
Salvatore Ladu(Cianchino)16.08.2001
SelvaAlessandra
(8歳、雌)
Guido Tomasucci(Bonito da Silva)02.07.2003OndaDidimo
(5歳、去勢雄)
Claudio Bandini(Batticuore)02.07.1995
PanteraZodiach
(9歳、去勢雄)
Antonio Villella(Sgaibarre)02.07.1994LupaBerisario
(7歳、去勢雄)
Massimo Coghe(Massimino)02.07.1989
BrucoVai Go
(10歳、去勢雄)
Dino Pes(Velluto)16.08.2003ValdimontoneAfara
(8歳、雌)
Giuseppe Pes(il Pesse)16.08.1990
OcaAcquario
(8歳、雌)
Gianluca Scaglione(Mamassino)02.07.1999GiraffaDonosu Tou
(5歳、去勢雄)
Alberto Ricceri(Salasso)16.08.1997

くじ引きは最初に選ばれた、昨年もパリオに参加したあまり強くない馬Alessandraから始まり、選ばれたSelvaの人々は残念そうに無言で結果を見守っていました。その次にAltoplatoの選出が始まり、悪い馬ではなかったのですが、最高の馬を手にしたわけでもないDragoの人々が残念そうに馬とともにカンポ広場(Piazza del Campo)を去っていきました。その次に今回パリオに参加する馬のうちで唯一勝ったことがある(2001年8月, Drago、2003年7月, Selva)馬Zodiachが現れたときにはPiazza全体から”自分のContradaに選ばれれば”との期待が満ちあふれていました。Zodiachに乗ることが出来るContradaとしてPanteraの名が挙がったときには1つのContradaの激しい喜びと、その他のZodiachを手に出来なかったContradaのため息が聞かれました。

その後Zodiachに次ぐいい馬との評判の高いBrentoの選出が始まり、シエナのContradaの中で最も勝利から遠ざかっているTorreが選ばれました。このときPiazzaでは、今度こその勝利を夢見るTorreの歓声と、TorreのnemicoであるOca、Ondaの深いため息が鳴り響いていました。
その後の選出は、評判が高かった3頭が既に選ばれたせいもあり、最後の2頭めにOcaがAcquarioを、最後の1頭としてGiraffaがDonosu Touを手にするまでに静かに過ぎていきました。

Trattaのあと、Contradaごとで騎手が選出されます。だいたいパリオの前から騎手に約束をしているのですが、強い騎手ほど騎乗料が高いため、あまり評判の高くない馬を引いたContradaはそれなりの騎手を選び、強い馬を引いたContradaは著名な騎手に依頼する傾向があります。今回は、Panteraが昨年7月にZodiachに乗り、勝利に導いた若い騎手Antonio Villella(Sgaibarre)と契約を結んだため、最初のProvaを前にした現在今回のパリオの本命と思われています。最近のパリオで評判が高い騎手の1人Luca Minisini(Dè)は今回はペナルティで出場出来ず、また去年8月にBrucoを勝利に導いたLuigi Bruschelli(Trecciolino)は、今回もBrucoから依頼があったものの、馬Vai Goにあまり魅力を感じないとも、今年始めの負傷がまだ回復していないとも言う理由で今回のパリオには参加しないようです。騎手はパリオの当日、7月2日の朝、最後の練習走行のあとで市役所内で署名することにより正式に決定します。そのため、Prova(練習走行)で怪我をしたり、またその騎手が他のContradaによって買収された場合(2002年7月には、そのとき有力な馬を手にしていたTorreの騎手が、TorreのnemicaであるOcaに買収されたということで、騎手がパリオの直前に替えられていました)突然騎手が交代することもあります。

ContradaのPalio用の衣装を着てProvaに向かうLupa(白黒)とMontone(ピンク色)の騎手

Trattaの日の夕方、最初のパリオのProva(練習走行)がPiazza del Campoで行われます。有力な馬を引いたContradaはまるで優勝したかの盛り上がりを、そうでないContradaはそれなりに、でもパリオはシエナの17のContradaのうち10のContradaしか参加することが出来ませんから多くの人にとってはずっと待ち望んでいた楽しみですので、スカーフなどを身にまとって自分のContradaを応援しにPiazzaに向かうことになります。最初のProvaを前に、大観衆を目にしたOcaの馬Acquarioが、ほかの9頭の馬がPiazzaに向かったにもかかわらずPalazzo Pubblicoの中で立ち止まってしまうというハプニングがありました。騎手がいくらおなかを蹴っても、調教師がいくらけしかけても全く歩く様子がありません。どうするのかと見ていたら、騎手は仕方なく馬から下りて馬を引いてPiazzaに向かい、それから馬に乗ってProvaに向かいました。パリオの馬は選ばれたあとは決して換えることが許されていませんので、Provaで騎手はスタートなどの練習をさせる以外はゆっくり走らせています。

Provaを待ちながらパリオに参加するContradaの人々は士気を挙げるために自分のContradaや、敵対するContradaを罵倒する歌を歌っています。今回はOca、Ondaと対立しているTorreが有力馬を引き、残りがあまりいい馬を引かなかったため、Piazzaの両隅でお互いに相手を罵倒するために歌を歌い続けていました。
そのあと、ContradaのSocietà(町内会の集会所のようなところ)では夕食会が行われ、集まった人々によりパリオの勝利を祈っていろいろな歌が夜遅くまで合唱されていました。私はイタリアの他の都市に住んだことがないので、シエナ以外の都市でもこのようにみんなで歌を歌ったりするのかどうかはよくわかりませんが、シエナの人々は本当に合唱が大好きです。サッカーやバスケットボーツのチームを応援するときは、シエナの街の歌を合唱していますし、Contradaに行くとそのContradaに昔から伝わる歌を熱唱することになります(それも、おのおのが得意のパートを歌うため奇麗な合唱となります)。

パリオの練習走行(Prova)はパリオ当日の朝まで6回、朝9時と夕方7時45分にカンポ広場(Piazza del Campo)で行われ、歌を歌うContradaの人に囲まれながら馬がゆっくりとProvaの場に向かいます。br> 窓を開けるとぱたぱたとContradaの旗が風にはためく音が聞こえています。地区の要所にはContradaが旗を設置しますが、個人の家々の窓に飾られたちょっと古びた旗は住人のものです。昨年パリオに参加しなかったContradaのある通りでは多くの人々が旗を揚げ、またContradaのシンボルを身に着けて外出する人で活気だっています。パリオのために遠い街からシエナに戻ってきた人も多く、何となくある窓から漏れてきた歌声に他の家の人があわせて歌い、そしてまた別の家の人も歌いだすという風景が聞こえています。その中でContradaのStella(厩)の前では、どんな理由があろうとも交換することの出来ない大切な馬を万が一の事故から守ろうとするContradaの若者で緊張が漂っています。

Palioの前日の夕方には勝ったContradaに与えられるDrappelloneが、パリオが始まるまでの間サンタマリアディプロベンザーノ教会(Santa Maria di Provenzano)にシエナの17のContradaのパレードとともにおさめられ、Drappelloneの最も高い位置に向かってContradaのスカーフを投げたContradaが勝つという言い伝えを信じるシエナの人々が集まり、Santa Maria di Provenzano教会の神父によるミサが行われました。7月のパリオで勝ったContradaはDrappelloneを手に真っ先にこの教会に勝利の報告をすることになっています。
パリオの前日のProva (Prova Generale)のあとには道を塞いでの伝説的なContradaの夕食会が行われ、Contradaの若者や有志によって準備された料理を食べながら翌日のパリオに勝つことを夢見る祝賀会が行われます。パリオに勝ったContradaにはその翌日から祝う権利が出来毎日宴会が繰り広げられますが、そうではない負けた9つのContradaは旗を撤収し、次のパリオが来るまでまた待たなければならないのです(筆者の恩人のContradaはTorreで、彼は43年間勝利を祈り続けています)。有力な馬の1つBrentoを手にし43年ぶりの勝利を祈るTorre、最有力馬Zodiachに、相性がいいと見られている騎手Antonio Villella(Sgaibarre)を組み合わせたPanteraでは、まるで勝ったかのような雰囲気で陽気に食事会が行われていました。逆に勝つ見込みが薄いと見られた馬を引き、かつライバルのTorreが43年ぶりの栄冠を夢見ているOca、Ondaでは対照的に半信半疑な、なんとかTorreが負けてくれれば....という雰囲気の宴会が行われていました。

Piazza del Campoに到着したDrappellone


Palioの当日、午後3時からTorre del Mangiaの奏でる鐘の音がパリオのとき独特の音に替わり、パリオに参加する10のContradaの教会で、勝利を祈るミサが始まりました。静寂の中神父さんが馬と騎手に祝福を与え、各Contradaで選ばれた人々が歴史的装束を身にしてのパレードに参加するため集まってきました。パレードはパリオに参加する騎手を大将として馬(この馬はパリオに参加する馬とは別の馬です)に乗せ、パリオの競技に参加する馬とそれを守るContradaの若者らともにDuomoの前をスタートし、via San PietroからCassato di Sottoを通ってPiazza del Campoに向かいます。そして、最初のContradaである ValdimontoneがPiazzaに入る頃、多くのシエナの市民がvia Duprèからパリオを見るためにPiazza del Campoに向かっていきます(今年はここに”トイレはありません、座椅子を持ち込まないでください、犬を連れ込まないでください、小さいお子さんを連れると危険です”という張り紙が張ってありました)。via Duprèは本当に将棋倒しになったら危ないなと思う程の大混雑でした。

Giraffaの勝利を公式に示すために、Parazzo Pubblicoに掲げられたContradaの旗Drappelloneを手に、Santa Maria di Provenzano教会に勝利の報告に向かうGiraffaの人々

Piazza del Campoでのパレードも、今回参加する10のContradaから、今回参加することが出来なかった7つのContradaに代わり、最後のIstriceのパレードのあと、パリオに勝ったContradaに渡される旗Drappelloneが、例年通り4頭の白い巨大な牛によって運ばれてきました。多くのseneseがContradaのスカーフをDrappelloneの方向を向けて振り、自分のContradaの勝利を祈願していました。
7時半過ぎにPiazzaに馬に乗った騎手が登場し、いよいよパリオが始まりました。静寂の中、Mossiere(パリオの全権を決める審判)が、馬の順番を発表しています。Lupa、Bruco、Giraffa、Pantera、Montone、Onda、Drago、Oca、Torre、と言ったときに周りの人が今回のパリオで完全に敵対し合っているこの2つのContradaが並び合ってしまったため、いい馬を持っているTorreをライバルのOcaが勝たせないためにいかに邪魔するのかというどよめきが聞かれました。そしてパリオのスタートを決定する、後ろから入ってくるContradaとしてSelvaが指名されました。騎手同士いろいろ話しながら(多くの騎手がスタートを決めるSelvaの騎手と何かを話しているように見られました)馬を並べ、Mossiereが馬の位置を調整する中、Selvaの選手が枠の中に入ってきて例年より早い時間にパリオのレースがスタートしました。

ライバルPanteraが負けたことを喜んで挙げられたと見られるAquilaの旗

始めはスタートがよかったBruco、Giraffa、Torreの勝負となっていましたが、2周目あたりでBruco、Giraffaの2頭の勝負となり、3周目の最初のコーナー(curva di San Martino)付近でGiraffaの騎手が必死にむちをたたいて走ったためにバランスを崩して落馬してしまい、そしてそれにつられるようにBrucoの騎手も落馬してしまいました。騎手を失った2頭の馬を、追い上げてきた本来の優勝候補であったPantera、Drago、Torreの騎手が必死に追い上げる中、3周目の2つめのコーナーにはゆっくり走る周回遅れの騎手を失ったOcaの馬Acquarioが待っていました。トップを走っていたBrucoの馬Vai GoがAcquarioをよけようと大きく回るうちにGiraffaの馬Donosu Touがトップに立ち、前回昨年7月のパリオで勝った馬Zodiachは馬ごみの中むちをたたきながらも周回遅れのOcaの馬Acquarioを抜くことが出来ず、最終的にGiraffaの馬Donosu Touがトップでゴールを果たし、Palazzo PubblicoにGiraffaの赤と白の旗が飾られました。騎手を失ったときには2位であったGiraffaの馬Donosu Touが、パリオ本番でも途中で立ち止まってしまったOcaの馬Acquarioに守られるように勝ってしまったのはあまりに運命的で、パリオらしい勝負であるとテレビの解説者が話していました。
さて、Piazza del Campoの回りにある観覧席ではなく、Piazza del Campoの中でパリオを見る場合、全てが見渡せるわけではないので、このように騎手を失った馬(Cavaiio Scosso)同士の勝負となった場合どのContradaが勝ったのかよく分かりません。Piazza del Campoでパリオを見られて、イタリア語のある程度の知識がある場合、携帯型のラジオを持っていかれると重宝します。今回のパリオでも始めはどこが栄冠を手にしたのかよく判らず、ラジオのスイッチを入れると"Ha vinto la Giraffa!!!"の声が聞こえ、初めてGiraffaが勝ったことが判りました。


そのあとテレビではGiraffaの、勝ったContradaに与えられる旗Drappelloneを我れ先に手にしようとする姿や馬Donosu Tou、騎手Ricceriに抱きつく姿を流していましたが、なぜかバックに流れている歌声はOcaのFontebrandaを讃え、勝てる馬を持ちながらも今回も勝つことが出来なかったTorreを罵倒する歓喜にあふれた歌声でした(右の写真は街の一角で目にした、永遠のライバルであり今回最有力馬を持ちながらもぎりぎりで勝てなかったPanteraへの喜びのためか揚げられていた旗です)。
昨年8月に有力馬の1つを手にし、途中まではトップに立ちながらもライバルのBrucoに負けたGiraffaの人々は1997年以来の勝利の美酒に酔い、明け方まで勝利のパレードの太鼓の音と、Giraffaの教会の鐘の音がシエナの街に鳴り響いていました。

ha vinto la Giraffa!!!!!!!!!!!!!!!!!

そして翌7月3日の朝、まだ彼らの酔いもさめないうちにシエナの新聞はGiraffaの勝利をたたえるポスターをおまけとして販売され、Giraffaの人々は街中にPalioの勝利を披露するためのパレードを行いました。パリオに勝ったContradaの人々は新たに生まれ変わるとのシエナの伝説通りおしゃぶりを口にして、誇らしげにContradaの各教会を巡るGiraffaの人々を見ながら、他のContradaの人々は次こそ自分たちのContradaに勝利をと新たに誓い直すのでした。来週7月11日の午後7時から、8月のパリオに参加することが出来る4つのContradaを決定する抽選Estrazioneが実施されます。また同時にこの日、Estrazioneの前に今回のパリオに勝ったGiraffaの公式のカンポ広場(Piazza del Campo)までの勝利の凱旋il corteoも行われます。

Giraffaの勝利の凱旋今回のDrappellone

Ancora questa volta non ha preso la Torre un Palio quasi in tasca....Grande gioia in Fontebranda, e anche qualche posto in Siena

素直に”ああ、パリオって本当に運次第で何が起こるのかわからないものだな”と思って今回のパリオを終わらせるのは私のようにこの街の深い歴史をいまいち理解していない人で、パリオの翌々日にシエナの新聞を読んでいたら、有力な馬Brentoを持っていたTorreは今回こその雪辱にかけていくらかのContradaを買収していたのではないかとの疑惑が論じられていました。曰く、Torreの騎手は勝つ見込みの低かった、スタートを決定するrincorsaの位置にあったSelvaの騎手と話しあい、Torreの騎手にとって都合のいいなるべく早い時間で、かつ進路が隣の、永遠のライバルのContradaであるOcaに妨害されていないときにスタートするように指示していた、3周めまでトップの位置にあったBruco(歴史的にはTorreと同盟を組んでいます)の騎手は常にTorreを勝たせるために抜かせる準備をしていたが、3周めの最初のコーナーで2位のGiraffaの騎手が落馬してしまい、このままでは勝ってしまうことを恐れて落馬した(パリオで勝った場合Contradaの人々と連夜祝賀の宴や勝利の宴を開かなければならず、財政的に緊迫しているContradaの場合連勝してしまうことは嬉しいながらも、財政面を担当している人々にとってはなかなか難しい問題でもあるそうです)などの疑惑や、なぜもっとも前評判が高い馬に乗っていたPanteraが最後のぎりぎりまでその馬の実力を発揮出来なかったのか(これに関して騎手Villellaは自分が騎手として何度かの重大なミスをしたこと、および大切な時に他の馬に妨害されたことなどを上げていました)などが論議されていました。
これが本当のことかどうかはともかく、43年ぶりに今度こそライバルTorreが勝ってしまうという事実が起きてしまうのではないかとの不安に駆られていたOcaの本拠地Fontebrandaではパリオの運命によりBrucoとTorre、さらに勝利に向かっていたと見られるPantera、Dragoの野望を自らの手で砕きGiraffaに勝利を贈った馬Acquario大いなる誇りと讃え、また何も働かなかった騎手(唯一の仕事は最初のCassatoのカーブで落馬し、Acquarioを騎手無きまま馬場に残した)と安堵の祝賀会が盛大に行われ、出場が決まっている8月のパリオに向けて勝利を祈願しています。
同様のライバルの敗北を喜ぶ宴は、最有力馬Zodiachと、勝利経験のある騎手Villellaを有していたPanteraの宿敵Aquila、Lupaと最悪の関係にあり、現在2年間の出場停止の中にあるシエナ最大のContradaのIstriceの本拠地、Montoneがベテラン騎手の助けを借りながらも勝てなかったことを喜ぶNicchioの本拠地などでも行われていると思われます。この宿敵が負けることへの大きな喜び、そしてパリオを手にすることの激しい歓喜が中世からいままでseneseの体の中を濃厚な血液として流れています。

ここ数年のパリオでよく見られた、有力馬に乗った騎手がスタートから疾走してそのまま勝つというパリオではなく、今回は多くのドラマが起き最後までどのContradaがDrappelloneを手にするのか判らない非常に面白い展開でした。しかし、今回2004年7月2日のパリオでは、シエナの街への経済効果として残念なことが一つだけありました。それは例年と比べて観光客の数が少なく、いくらかのホテルでは空室が発生したということです。数年前ならばパリオ当日には部屋料金を割り増しにしても予約でいっぱいになったのに、今年は観光客が”パリオの時はホテルも高いだろう”と敬遠したのではないかとラジオで話していました。またDuomoからPiazzaへのパレードを沿道で見守る観光客の数も例年より明らかに少なかったようです。Piazzaでパリオを見ていた私も、via Duprèの入り口からPiazzaに入ってくる人の波がいつまでたっても止まらないのでおかしいなあと感じていたのですが(私は、午後6時のイタリア国営放送RAIの中継が始まってからパリオを見にvia Duprèに向かったのですが、その時”パリオの1時間半前にしては人が少ないのではないかしら”と感じました)。同様に、Palco(Piazza del Campoの回りに設置されたパリオを見るための席で、17のContradaに割り振られています)にもいくらかの空きが見られていました。以前は観光客に裏でかなり高い値段で取り引きされていたようですが(シエナの市が決めた公式の料金は一番高い席でも200ユーロしなかったと思います:2004年7月現在)今年は思ったように高く売れなかったみたいです。以前は1年前から手配しなければならなかったとも言われるパリオの観覧席ですが、今年は一般の観光客向きの案内所でも大きな”パルコのチケットあります!!”との英語の張り紙が見られました(ただし値段に関してはひとことも書いてありませんでしたが)。まあこれも、ただ単純にシエナの街、そしてContradaを愛している生粋のseneseにとってはパリオに集中できて良かったのかも知れませんが。
ただしラジオも、今回観光客が少なかったのはパリオが平日(金曜日)に行われたこと、この時期に休みを取れる人が必ずしも多いわけではないことが影響したのかもしれないとも話していました。というわけで、これを読んで8月のパリオを見に行こうと計画されている方は十分な混雑を予想された方が懸命と思います(日本も8月16日の週はお盆ですが、イタリアでも8月15日が"ferragosto"という祝日となっていて、この時期に働く人はあまりいません)。7月のパリオと8月のパリオで異なるのはただ、パリオに勝ったContradaが勝利の報告に行くのが前者はSanta Maria di Provenzano教会、後者がDuomoという違いだけです。
いつか夏にパリオを見にシエナを訪ねてみたいと思われた方には、可能ならば7月のパリオを見に来られた方が落ち着いてその雰囲気を楽しめると思います。

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参考文献; La Terra in Piazza, 1994, nuova immagine editrice (University of California Press)